鞆の浦サイクリング(山中行軍付き)


雪か雨かで言えば情緒のある雪かな珍しいし、という
雪国の方から見ると雪だるまを投げつけたくなるであろう
典型的非雪国育ちの自転車屋ですこんばんは。

しかし雨ということは雪にならない気温、ということですので
自転車にたずさわる者と致しましてはやはりそちらの方が
ライフスタイル的にもビジネス的にも歓迎すべきなのでしょうか。
梅雨に入ると全く違うことを書いているかも知れませんが
ともあれ現時点では気温優先ということで。

そんな雨の気配など微塵もなかったこの水曜日に
珍しくぶらっと自転車に”乗る目的で”乗ってまいりましたので
画像の羅列で申し訳ございませんがダラダラとレポートを。

今回向かうのは尾道の東。
これまでちょこちょことご紹介しておりますように
御調(みつぎ)や世羅などの北部
南のしまなみ海道、そしてさざなみ海道がある西
の順番で出かけることが多いのですが
東には松永を玄関口とする広島県第2の街福山がある為
その交通量を嫌って自転車で出向くことは殆どございません。

しかしその両街の間にある沼隈(ぬまくま)半島は
自然が豊かで、アップダウンに恵まれ、というかアップとダウンしかなく
そして鞆の浦という歴史的観光名所がある為
近隣のサイクリストにとっては身近です。

そんな訳で、コンセプトを「春を探しに」という
乙女チックなものに決めヒゲオヤジが出発致しました。

早速それらしい光景に出会えました。

しかし桜はまだこの程度ですので
春らしい春までにはもう少しかかりそうです。

自転車はいつもの如くシクロクロスですので
もちろんそこらのキレイな舗装路は極力避けて通ります。

しかしどうもしばらく人が通っていない道のようで
もはや自転車がお荷物です。

お地蔵様は冷静です。

延々と樹木と戦いながらの行軍で
体のアチコチには擦り傷が。
たまらず舗装路があるであろう方角へよじ登ってみると
5メートル程の断崖の上に出てきました。

オアシスに辿り着いたら水が海水、と同じぐらいの失望感。

ようやく文明の名残に遭遇致しましたが
余計に恐怖感が増しました。

そんなまず誰も通らないだろう山道を這い登って辿り着いたのが
鞆の浦の山手を南北に走っておりますグリーンライン。
眼下にはその鞆の町並みと仙酔島(せんすいじま)が見えます。

ビュースポットはこの辺り。
(クリックで僅かに拡大します)

反対側には福山の港湾部と岡山の島々が。

目が良ければその先に明後日渡る予定の瀬戸大橋が見えるはずなのですがなにせメガネ。

あ、その日曜日(2/19)は讃岐うどんツアーのついでに
シクロに参加をしてまいりますのでお休みを頂きます。
ご迷惑をお掛け致しますがよろしくお願い致します。

さて、その九十九折を降りてようやく鞆の町へ。

この自転車乗りにお馴染みの「九十九折(つづらおり)」ですが
常々なんちゅう当て字じゃと思っておりましたので調べてみると
葛籠(つづら)の折り目が”九十九”に見えることに由来しているのだそうです。

そんな葛籠が各家庭で活躍していただろう鞆の古い家々を見て回るには
自転車よりも歩いたほうが色々な発見があって良いと思います。

多分ここで「そこの消火器取って!」と言われたら
なかなか見付けられず焦って奥の灰色のを手渡して
事態を悪化させる自信満々なメガネ。

ここで米一揆に遭遇して
「庄屋のところの米倉へ突撃じゃー」
と言われたら真っ先に襲撃してしまいそうな番所。

鞆のシンボルと言える常夜燈は今から150年以上前のもの。
いろは丸沈没事件でこの地に上陸した龍馬さんもこの眺めを目にしたことでしょう。

しかしつい最近までこの常夜燈の背後に車の為の橋を架けよう
という唖然とする案が出されておりました。
確かに狭い道に観光客が車で押し寄せて来る訳で
地元の方にとっては、そこから引き起こされる渋滞が
日常生活に少なからず影響を及ぼしていたと思います。

しかし万葉集にも詠まれた歴史ある名勝地の景観を
その歴史から見るとほんの一瞬の世代である我々が
自らの都合だけで壊してしまうのはあまりに短絡的である
と以前より憤っておりました。

幸い山手側にトンネルを掘る案でまとまったようですが
もしこの常夜燈の後ろに橋が架かっていたら
観光客が激減し、結果渋滞はなくなり、橋はその存在価値を失う
という後世の笑い話になっていたような気がします。
そんな訳でこの残った景観に再会出来ただけで鞆へ来た甲斐がありました。
その満足感を胸に、歴史好きルートを少し巡って帰りましょう。

こちらは、あの「七難八苦を与えよ」という
ちょっとマゾっ気があるのではなかろうかという山中鹿介の首塚です。

その意味する所は、つまり臥薪嘗胆ということでしょうか。
信長の野望(ゲーム)のせいにする訳ではございませんが
尼子家は毛利家の影に隠れてどうも馴染みがございません。
しかしお家再興の為に孤軍奮闘する山中鹿介は
その逸話の多さからも歴史的に人気があったことが分かりました。

そのお隣には、多分日本で一番短いのではなかろうかという”ささやき橋”。

1歩で渡れる橋ですが、アーチだけは橋らしく立派ですので
通行する車は皆さんローライダーの如く飛び跳ねておりました。

帰路はもちろん舗装路メインで。
そんな色んな時代の歴史を感じることが出来た鞆サイクリングでございました。
毎度の如く参考にはならないと思いますが、歴史好きの方は是非どうぞ。

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