高知県東部限定お遍路サイクリング 2日目


(前略)
という訳で、前回の1日目に続くお遍路サイクリングレポートです。
高知県東部限定お遍路サイクリング 1日目

その殆どを車で移動した1日目を深く反省したのか
2日目は全行程自転車で移動するぜ、と
やにわにヤル気を出してまいりましたお遍路初心者とその助手。

しかし思い返すと、ヤル気がどうのというよりも
この日の、自宅を中心としたルート設定による
必然的なものであったような気もしてくるのですが
何はともあれ朝もはよから自転車2台が
高知市街を出発致しました。

大雑把なルートはこちら。

ところでその高知市。
県庁所在地の中では全国32位という中途半端な人口らしいのですが
人口密度ランキングで見ると25位という
まぁ依然中途半端ではあるのですが
思ったよりも過密シティなのであります。

なおかつその中の半分ぐらいは朝から酒を呑んで
大勢の生徒さんたちが行き交う時間帯でしたので
交通量の少ない国分川沿いをしずしずと北東へ。

南国土佐なんぞと言いますが
冬の寒さは瀬戸内沿岸とそう変わりません。

そんな季節感を否応なく感じさせる土手を淡々と走っておりますと
田に囲まれた平城の様な29番札所、国分寺が現れました。

国分寺は、聖武天皇(8世紀)の時代に全国に作られたそうで
今ではお遍路さんぐらいでしか賑わわないこの辺りが
中世まで国府(今で言う県庁所在地)だったそうです。
恐らく先程走っておりました国分川も、このお寺が由来でしょう。

信仰心はからっきしですが、そう言った歴史的背景を持つ場所は
非常に心惹かれますので、お遍路父を捨て置いて
こんな顔で境内を眺めておりました。

しかしこれほど迫力に欠ける愛らしい仁王像も珍しい。

ちなみに門前のお店では
“オリジナル大師様カラー納札”が手に入るそうです。

お寺の前で何ですが、脳裏にスーパーゼウスのシールが浮かんだ43歳間近。

続いてのお寺は、30番札所の善楽寺。

これまで巡って来たお寺でもよく見かけた光景ですが
ここも真横に土佐神社という有名な神社が併設されております。
後で調べると、昔神仏習合が行われていた時代
神社を管理する為のお寺”別当寺”が各地に作られたそうです。
故に明治の廃仏毀釈の際には別当寺が標的となったようですが
そんな山あり谷ありの歴史を経て、今は仲良く隣り合っているその光景が
ただの歴史探訪サイクリストと化した助手には興味深く映りました。

ところで、次のお寺はそこから一気に南下した所にある
県内で最も有名な札所の竹林寺(ちくりんじ)なのですが
そこに行く前にお遍路さん(父)から指令が。

「お遍路服を家に忘れとるので取ってきて」

そうなのです。
先の2つのお寺はただのサイクリスト姿で詣っておるのです、このお遍路さん。
この日は車も使わないので純利益(ご利益)も高かろう
と思っておりましたが、この時点で赤字ですよ、と
個人経営者の助手は思いつつもうやうやしく自宅へ取りに帰るのです。

そんなすったもんだを経て辿り着いた竹林寺。

五台山という山の上にあり
隣には牧野植物園もあることから
観光地としても名を馳せている所です。
管理も隅々まで行き届いております。

山ですのでちょっとした上り坂は避けられませんが
眺望も良いですし、高知市へ来たけども
ひろめ市場で酒を飲むしかやることがないがぜよ
という方にお勧めの場所です。
特に植物園は半日潰せるお気に入りの場所です。

そして竹林寺からさらに南下し
太平洋を眼前にした丘の上にあるのが
32番札所の禅師峰寺(ぜんじぶじ)。

何だか濁音だらけでパッとしない印象を受けるお寺ですが
その前日に回った5箇所と、この日回った8箇所の中では
個人的ベストであったのがこのゼンジブジです。

何よりまず目の前が大海、というロケーションが最高です。

この時間にもなると、南国らしい陽気になっておりましたので
また何かやらかしそうな傍らのお遍路さんがいなければ
しばらくここでのんびりとホエールウォッチングでもしていたでしょう。

そしてこの兄弟地蔵の可愛さも琴線に触れました。

見ようによっては
「兄ちゃん寒いね。1円玉しか置いてくれないから暖も取れないね」
という、マッチ売りの少女的な悲話に見えなくもないですが
石の像と毛糸の帽子、という人工物であっても
そこに作る人の想いが込められれば、そしてそれに
想いを託す人がいるのであればそこに神が宿る、と言う
日本の宗教観をこの兄弟に見たような気が致しました。

ちなみにこちらの仁王さんも、可愛さとは無縁でしたが
荒削りの迫力があって、ちゃんと仕事をしているようでした。

ところで、このお寺の場所を丘の上、と書きましたが
お遍路父が自転車登頂を拒否した程の坂がございますので
自転車でいらっしゃる方はお気を付けください。

ちなみに階段を利用した場合も結局大変そうですが。
マムシも出るみたいですし。

そこから黒潮ラインを西へ進み
浦戸湾にかかる浦戸大橋を渡りません。

助手は橋を渡る気満々だったのですが
お遍路さんに却下されて渋々の渡船です。
尾道市民には見慣れた渡船ですが
この浦戸湾を横切る県営渡船はなんと無料です。

浦戸大橋が結構なアーチを描いている為
余程の物好きな方でなければ、自転車は渡船がお勧めです。
ちなみに約1時間に1本ですので、タイミングが合わなければ橋へどうぞ。

尾道から向島までの約2倍の距離を乗船し
船着き場からまっすぐ走った所にあるのが
33番札所の雪蹊寺(せっけいじ)。

ここは長宗我部家の菩提寺でもあり
寺名も長宗我部元親の法名から付けられたそうです。

そんな縁で、境内には元親の長男、信親(のぶちか)の墓があります。

唐突になんですが、私がこれまで読んで涙した小説が3冊あります。
三浦綾子さんの「塩狩峠」
宮部みゆきさんの「孤宿の人」
そして司馬遼太郎先生の「夏草の賦」。

中でも、自然と先生を付けてしまうほどに
司馬遼太郎先生の著書を愛読しているのですが
その長宗我部元親を主人公とした「夏草の賦」は
「竜馬がゆく」と並ぶ高知県人必読の作品です。

そこで語られる通り、元親が長男信親を失ったのが
秀吉の九州征伐の時なのですが、戦国時代とは言え
先に息子に死なれる父親の悲哀が
読んだ当時は若かったはずの私の涙腺を崩壊させたのを覚えております。
そのような背景ですので、意図せず訪れた信親の墓所で
当時の様子を想像しつつ、しばらく感慨にふけっておりました。

その頃父はせっせとお遍路業。
こちらの父子は終始別行動です。

次の種間寺(たねまじ)には、少し距離はありますが
平坦な田園地帯を気持ち良く走って到着。

お寺の名前は、空海さんが唐から持ち帰ったという
五穀の種に由来するそうです。
なんだかシュナの旅のよう。

この後は、札所の順番で行けば
35番の清瀧寺(きよたきじ)となるのですが
清瀧寺がここから北に、そしてその次の36番札所
青龍寺(しょうりゅうじ)が南にありますので
北の自宅に効率良く帰るには、先に南を回ろう、ということになりました。

もし1番札所から順番に回ることを遵守する会
なんていうのがありましたら、24番から始めた時点でお遍路笠で
そして番号をすっ飛ばした時点でお遍路杖で、それぞれ殴打されそうです。

青龍寺は、甲子園の常連校である
というよりも朝青龍の出身校としての方が有名かもしれない
明徳義塾高校(土佐市宇佐)のそばにあります。
あ、つまり朝青龍の四股名は青龍寺由来なのですね、今気付きました。

宇佐は私の祖父のルーツでもありますが
羽合温泉が「ハワイ温泉」と自称するように
宇佐も「USA」で売り出しているらしいですので
つまり私はクォーターということになるのでしょうか。

そこに至る宇佐大橋は、短くてアーチも緩やか。
橋が無かった50年前は、ここを船で渡ってデートをしたものだ、と
結婚前の甘い思い出を、橋を渡りながら父に聞かせてもらいました。

まさかそれから半世紀後に、その時の乙女に
あごで使われるとは当時の青年も思っていなかったでしょう。
ご愁傷様です。

青龍寺も平坦な場所にありますが
到着後になかなかのフィットネス階段が待ち構えておりました。

ここで、1ヶ月をかけてお遍路サイクリングをしている、という
本物のお遍路さんにお会いしましたので
車を使うわ助手はいるわのお遍路初心者は
逃げるようにこの日最後のお寺へ向かいます。

その清瀧寺は、この日の中では最も難所で
と言いましても上りは130mぐらいなのですか
部分的に2桁勾配も現れて、お疲れの古希お遍路さんを苦しめます。

そんな苦行を経てようやくお寺へ到着。

ヒルクライム後の参拝のメリットは
達成感と眺望だと思うのですが
ここも土佐市街と仁淀川が隅々まで見通せました。

そして夕陽を背に帰路へ。
約100km(忘れ物を取りに行った助手は4km追加で)
計8箇所のお寺を回った、高知市周辺のお遍路旅でございました。

幸いなことに大きなトラブルもございませんでしたが
小さなミスはアレコレと見受けられましたので
それらを修正しつつ、次回以降の一人旅に備えてもらえれば
と助手は思うのですが、果たしてどうなることやら。

“71歳、ドタバタお遍路自転車旅 本編”は
また来年の春以降に綴られるようですので
ミイラ取りならぬ、お遍路さんが路頭に迷う、ということに
ならないよう見守っていきたいと思います。

長文にお付き合い頂きありがとうございました。

 

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