観光国家としての日本(供養記事)
何だか司馬遼太郎先生の著作に
ありそうなタイトルから始まる
本日のブログは、半年ほど前
円が1ドル160円まで下がり
毎日のようにインバウンド客
(訪日旅行客)が狭い店内を
その巨体で圧迫していた時に
書いていた文章です。
恐らくあまりに文章が
長くなり過ぎたのか
内容が支離滅裂だったかの理由で
お蔵入りしておりましたが
来年になって急激な円高になったり
鎖国が始まりインバウンド客が
いなくなったりすると
意味を成さなくなる内容ですので
もったいない、という理由だけで上げておきます。
長い割にはスカスカの
そして多分に主観が入っておりますが
クリスマスイブの夜、お子さんが
寝入るまで待機を強いられる
サンタさんの時間つぶしにでも
一読頂ければ幸いです。
ちなみに眠くなること請け合いの
内容ですので、このブログのせいで
任務が失敗しても当店は知りません。
—–
(何か適当な前フリの後)
この異常なまでのインバウンドの数は
コロナ禍の反動かと思っておりましたが
彼らにとってはタイミングの良い円安も
その量を依然としてキープ
あるいは増加させている一因のようです。
調べると、たった4年前が
1ドル=103円だったようですので
4年ぶりに来日された方には
日本で買える物やサービス全てが
以前より3割以上安く思える訳です。
さらに彼らの国の
現在の物価高も加味すると
そのお買い得感は半額以上かもしれません。
夕方のスーパーで
半額シールの貼られた惣菜を
目を血走らせながら
ゲットする身からすれば
全品半額(という感覚)の国は
それは訪れたくなるわけです。
もちろん真逆の現象が
アウトバウンド(海外旅行)に起こる訳で
今私がアメリカなんぞに行こうもんなら
到着した空港のリムジンバスの運賃を見て
「健康のためにウォーキングしようかしら」
と歩き始めて、しかし飲み物も高くて買えず
フラフラしているところをテスラに轢かれて
そのまま成仏でしょう。
なお葬儀代も高騰していそうですので
そのまま鳥葬コースになるかと思われます。
そう考えると、自身が2000年代始めに
外国を見て回れたのは幸運だったと思います。
反面、これからは円安に比例してますます
海外への壁が高くなり
外国の観光地で日本人を見かけることが
少なくなるはずです。
近年まで日本人に人気だった観光地には
日本語メニューや、片言の日本語を話す
怪しい客引きがおりましたが
それらも消えて久しいでしょう。
そういえばマレーシアでも香港でも
ピンポイントで日本語で誘ってくる
夜のオネエサンがおりましたが
彼女たちの瞬時に日本人を見分けられる
特殊能力ももう不要になっているでしょう。
しかし日本の男はカモ、と思われるのは
なんとも恥ずかしいことではありますな。
そんな日本にとってマイナスの状況に
活路を見出すのであれば
現在最も勢いのあるプラス側
つまりインバウンドの力を
利用するのが効果的だと思います。
出かける日本人、が
出迎える日本人、へ。
もっと辛辣に表現すると
もてなされる側からもてなす側へ
つまりは観光国家への転換は
未だ”ジャパンアズナンバーワン”
という意識の方には受け入れ難いものかもしれません。
小説なんかでよくあるような
富豪が没落して下働きに
という姿を想像してしまうかのように。
上述の”ジャパンアズナンバーワン”
(エズラ・ヴォーゲル著)が書かれたのは
今から45年前とのことですが
それが一国の浮沈の間隔とするならば
世界史的にはちょっと短いような気もします。
ともあれこれだけ円の価値が変化する時代には
我々の意識も否応なく変えざるを得ません。
私の親の世代、団塊の世代の方々が
日本をナンバーワンに成長させた素
数と熱量は、今後二度と再現できませんので。
そのインバウンド客のもてなし方ですが
基本的に何かを変える必要は無いと思います。
都会の住人はいざ知らず
生まれてから死ぬまで一処で生活する
田舎の方々は、その田舎の姿や生活こそが
日本の原風景であり、日本を知りたい人にとって
まさしく求めるものであることに気付きにくいはずです。
我々が台湾へ旅行に行って
東京と何ら変わりない
オフィスビル群を見ても
「暑い東京じゃのー」で終わります。
やはり古い町並みや屋台があって
その観光欲が満たされる訳で
そういった都会から田舎までの
日本の観光バリエーションの量は
円安だけではない、インバウンドを
引き付ける資源だと思います。
この話がどこへ行くのか
書いている本人も分かっておりませんが
ともあれ当店へいらっしゃる
海外のお客さんは皆さん楽しそうですので
これからしばらくはおもてなしの面でも
そして経済的にも、国内で力を溜める時期ではないでしょうか。
ただ皆が皆観光に携わっている
わけではありませんので
オーバーツーリズムによって
迷惑を被ることもあるでしょう。
当店ですら、一部のお客さんの
過度な要求で、他のお客さんや仕事へ
影響が及ぶこともあります。
しかしその逆のことをしていたのが
かつての我々ですので
立場が逆転したことで気付くその弊害を
反射的に非難するのは短絡的かもしれません。
地元の住人すら乗れない
混雑具合の京都の路線バスは
早急になんとかすべきだと思いますが
観光国家として世界に認知された
という意識を忍耐に変えて
彼らと共存できれば良いのではないでしょうか。
特に迎合するでもなく自然体に。
そして主にコミュニケーションの面で
少しでも彼らと接点を持てれば
より共存しやすくなると思います。
ところで京都のバス問題ですが
解決策を個人的に考えてみました。
最も手軽なのが、バスの停留所に
「え、自転車の国の人がバス乗らはるん?」
とオランダ語で書いておけば
少なくとも彼の国の方々は
レンタサイクルに切り替えてくれるかも知れません。
今度は逆走自転車の事故が増えそうな気もしますが。
ではバスの敷居を高くする策として
乗降口をにじり口にするのはどうでしょう。
「茶室の趣向とはやはり京都どすなぁ」
と小柄なアジア人には好評な一方
男性の平均身長が184cmのオランダ人は
実質乗車拒否となるでしょう。
しかしアジアの観光客が最も多いので意味がない気もします。
ちなみに特にオランダ人に
恨みがある訳ではないどす。
結局京都の観光客を確実に減らすのは
寺の焼き討ちしかなさそうです。
寺の無い京都など琵琶湖の無い滋賀と
同じほどの物足りなさでしょうし。
何だか物騒な解決策ですみません。
そう考えると、京都=寺なんですね。
つまり寺の多い尾道=京都。
さらにしまなみ海道とラーメンのトッピング。
人気観光地No.1の座も近そうです。
(そして混雑した山陽本線のドアがにじり口に)